からっぽのせ・か・い 視覚を失った身から現世をながめれば

2014年

11月

05日

ミラクルムーン

 なぜだか「月」が気になって、「月」に関わることを書きたくて、

不思議だなと思っていたら、今年は月をめぐるいろんな現象があるの

ですね。

 

「後の十三夜(のちのじゅうさんや)

 今年は、スーパームーンと言われた旧暦815日の月―中秋の名月と

旧暦913日の月―十三夜、さらになんと再び十三夜の月が見られ

のだという。それが、「後の十三夜(のちのじゅうさんや)

 

 閏月の影響で、一年に三回も名月を見られるのだという。

 何と171年ぶり、天保14年以来だそうな。

 まさにまさに、ミラクルムーン。

 それが今月今夜、115日なんだそうな。

 まるで、ドラマ!

 

 ドラマと言えば、テレビがない生活になって丸4年。

 見えなくなってからも、ニュースや音楽番組、2時間ドラマ等を

ラジオ化して音声を聴いていた。

 2014年のNHK大河ドラマ三谷幸喜脚本の「新選組!」は(心眼で)

見た。三谷版「新選組!」は、青春群像であり敗者の物語、せつなくて

哀しくて、集中して(心眼で)見たことを思い出す。

 

 中でも「月」をめぐる美しく印象的なシーンがあった。

 若き日の土方歳三と近藤勇が、京に上る前夜、盲目の歳三の兄の

もとを訪れ、いとま乞いをするシーン。

 なごやかな語らいのあと、いよいよ帰路につく2人と、見送る歳三の

兄。ふと見上げると、夜空には煌々と輝く月。思わず息を止め、月を

見入る2人。

歳三の兄が、「おー、今夜は月がことのほか美しいようですね」。

2人は怪訝そうに顔を見合わせ、「どうしてわかるのですか?」、

兄曰く、「御2人が息を止め、ふと立ち止まられた。さぞや美しい

月が出ているのだろうとわかりますよ」というようなセリフのやりとり

だったように記憶している。

 

 人の気配やちょっとした間で、事象というのか、ものことが伝わる

という感覚。わかりますよ、私にも。 見えないものが見えていると

いうことか。

 

 さて、話を現実に戻して、もう一つ「月」をめぐるお話を。

 三軒茶屋の国道246と世田谷通りに挟まれたところに「三角地帯」

呼ばれる路地空間がある。

戦後のやみ市の名残と言われていて、時代に取り残された感が何とも

惹きつけられるものがある。

 

 単館と名画座の2つの映画館があったのだが今は両方とも閉館。

銭湯は健在のようだ。人気のないマンションの前には、ゴミの山…。

今残っているのは、飲食店が多い。

 水面下では、再開発の噂もあるようだ。

そりゃそうだ、不動産屋的にいえば、一等地だもの。

 

 この三角地帯にある一軒の古びたビル。

 あぶなっかしい外階段を上がるとその名も「ムーンファクトリー

コーヒー」がある。

 慎重に階段を上ってドアを開けると、ちょっと不思議な独特の空間が…。

豊かで陰影をたたえた、珈琲と読書のための空間がある。

 灰色がかった独特の色あせた床板と、カウンター。無国籍な雰囲気。

 そして、若く美しい女主人。 

 女主人とは何とも古めかしい言い方だが、そんな表現がぴったり当て

はまる、いまどきめずらしいエレガントな女性オーナー。

 同行の妹が小声で、「知的で、モダンなカンバセの美人さんだよ。」 

 やっぱり私の想像通り。声、話し方もすばらしい。

 

 オーナー自らドリップで淹れる芳醇な香りの珈琲と、お手製のチーズ

ケーキを堪能しながら、ポツポツとお話をした。

 美しいオーナーは、きさくで聞き上手でもあった。

 で、つい、出身地山形の話をしてしまった。 

 「えっ!私も山形出身ですよ」と、オーナー。

 「やまがだのどご?」

 「あー、しっでるぅ!」…etc. 三人、おもわずナマりながら話す。

 

 何という偶然、神のおみちびきか…、あららら、思わずテンションが

上がる。芋煮会とか、世田谷は山形に似ているとか、ローカルな話で

盛り上がる。

 

 「ムーンファクトリーコーヒー」という店名は、オーナー自ら命名。

消え入りそうな三日月が好きなのだそうだ。

 

 ふと見上げた空に月を見つけるように、ふと思い出して立寄りたく

なるような、そんな場所、カフェになれればいいな、という。

 人と人の出会いをつむぐカフェにきっとなりますよ、月工場は。

 

 なんとも素敵な「ムーンファクトリーコーヒー」との出会いも、今年の

月の素敵な現象の一つにちがいない。

 そんなことをツラツラ思いながら、見えぬ目で夜空を見上げてみた。

 

 

   


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2014年

10月

20日

月に想う

 私の故郷、山形県米沢市。

 その米沢から国道(酷道)13号線を北上して、山形市の手前に

ある、斉藤茂吉の故郷上山市。ここも温泉が有名なところだ。

  その一つ、上山葉山温泉にある「名月荘」。

 

蔵王連峰を見晴らす高台に4000坪の敷地を構える温泉旅館と

いうよりリゾート感覚の宿。

  この広ーいお庭に夜のとばりがおりて、一面の濃い群青色、

蒼い山影、そこに煌々と満月が昇ってくる…。

 私の頭の中に絵が浮かぶ。そのような絵を描く人物が思い浮かぶ。

 

 日本画家 福王寺一彦。

 

 

 文化勲章受章して2年前に亡くなった米沢市出身の画家、

福王寺法林の次男坊であり、私の従兄弟。

 

 人生のライフワークとして「ヒマラヤ」シリーズに取組んだ

豪放な父と違い、繊細な福王寺ブルーを追求する一彦。

そして、月。彼が好んで描くものだ。

 

 http://www.fukuoji.jp/

 幼き頃より父法林に師事し、1978年日本美術院展入選から本格

的に日本画の道を歩み始め、次代の院展を牽引する役割をおって

いるように思うのだが、それを証明するかのように、2010年当時

最年少で、日本芸術院会員になり話題になった。

 

 いまやアートなしには、地方活性化も各種イベントも語れなく

なっている現状だが、日本画自体はどうだろうか?

私は、停滞しているように感じるのだが…。

 

 そんな中、一彦は文化庁と日本芸術院共催による「子ども夢・

アート・アカデミー日本画教室」の先生役として、全国の小学校を

巡回し、直接子供たちに日本画の話や、岩絵の具とニカワの溶き方、

日本画の描き方を手ほどきしているのだという。

 

 これはとても良いことだ。小さいころから本物を見る、本物のプ

ロの手ほどきをうける機会を与えられることは、本当に素晴らしい

と思う。この中から、将来、院展に出品する子や日本画コレクター

が現われるかもしれない。

 

 月といえば、いまや仰ぎ見る存在となった福王寺一彦を想う。  

 22世紀へ、日本画壇を引っ張っていってほしいものだ。

 

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2014年

10月

04日

わが友、かしぶち哲郎

  今年はスーパームーンの当たり年だった。私もムーン、

月に思いを馳せることが多かった一年だった。

 それは、昨年1217日、満月の夜に逝ったかしぶち哲郎

ことがあったからだろう。

 

 ムーンライダーズドラマー、作曲家であり、石川セリ、

大貫妙子、矢野顕子、斉藤由貴等のプロデュース、「釣り

バカ日誌」シリーズ110回の音楽担当、そしてジェーン・

バーキンに憧れ続けた男だった。 

 最期まで色っぽかった男。

 

 彼とは40数年来の友人だ。

 

 建築家をめざし栃木から上京したかしぶちと、ミュージ

シャンをめざし雪深い田舎から出てきた私。

ある時2人の人生がクロス、友人となり、気が付けば彼が

ミュージシャンで私がインテリアデザイナーの道を歩んで

いた。

 

 彼も王道は歩まなかった。ムーンライダーズは、かなり

ディープでコアなファンがいるが、いわゆるメジャーでは

ないし、それを目指してもいなかった。

 かしぶち自身も、いつも若い女性を連れて、一見華やか

そうにしていたが、彼のライブはホントにディープでコア、

オタクっぽい男たちが最前列に陣取っていた。

 男に愛された男でもあった。

 

 規模を追わない生き方をしたのだな、かしぶちは。

 そこは私も同じだ。生きる世界は違っても、付き合いが

続いたのは、互いの中に同じ空気を感じ取っていたからかも

しれない。

 

 0611月、私は若い人に「無駄・みちくさのすゝめ」を推

奨すべくラジオ未来塾を開講した。

  それに先立つ9月、表参道と明治通りがクロスする街角に

できた“インターネット・ラジオ”収録スタジオに、塾長の

私とコーチのかしぶち、二人で押しかけ出演したことがあった。

 

 先述したように、音楽とデザイン、互いの生業が反転した

とや、期待に反して食えないミュージシャンの道を選んだ

我が身の不孝を、成長した一人息子がまるで阿吽の呼吸で建

築の勉強を始め、隔世で償ってくれたことなどを、雄弁に喜々

として語った。

 息子と同じ年頃の若い人に語り聞かせることが。うれしかっ

たようだ。 初めてみる親父としての顔。

 

  111111日、満月の日に、結成35周年のムーンライダー

無期限活動休止宣言。

 

 かしぶちは、気落ちしないはずはないだろうけれど、淡々と

過ごしているように見えて安心した。

 

 それから少し日が経った、13年夏、ある用件で連絡を入れて

いたが、珍しく音沙汰なし…。

レコーディング・スタジオに籠ったのか? 

そんな風に思っていた11月半ばのある晩、突然かしぶちから電

話があった。

 「これからそっちへ行っていいか?」。

おい、おい、夜型人間のかしぶちには宵の口の時間だろうが、

すっかり朝型人間になった私にはもう眠たくなる時間。

「また今度にしよう、連絡する」で電話を切ってしまった。

 それが最期とは想像だにせず。

 それが悔やまれてならないのだ。 それが悔やまれて…。

 

 20131217日、満月の夜、ムーンライダーズかしぶち哲郎

逝った。

 あれから10か月、私は、まだかしぶち哲郎の死を受け入れら

ないでいる。

 

 何気なくかしぶち哲郎のWEBサイトを開いてみた。

 まだ、あった。

 

 かしぶち哲郎作曲の、独特のヨーロッパテイストの曲が流れ

ている。ギャラリのページ アーキテクチャー:1972年とある。

きっと卒業制作として提出したのだろう、野外コンサートホー

ルの設計図が3枚。 

 見事に「建築と音楽」を融合させてたじゃないか。

 

 2006111日 あ、ラジオ塾と題したコラムがあった!

 ラジオ未来塾正式スタートの第1回目ゲストで来てくれた、

その時の印象を綴っていた。

 改めて読み返すと、彼の弾むような気持ち、そして全盲と

なった私への激励と温かなまなざし。

 

 こんなふうに思っていたのか、かしぶちは…。

 文字がかすむ…、あー、もう読めない…。

 

 私の感傷で終わりたくはないが、全文記させてくれ。

 友、かしぶち哲郎!

 

 

November 01, 2006

 

僕の30年来の友人である建築家の渡部隆氏が『ラジオ塾』を開講した。
先日、第一回目のコーチとして招かれ、若者たちと「建築と音楽」について話をした。そこは、集う人の出会いの場であり、遊びの場であり、学びの場であった。何かを得て世の中に出ていく"若者たち"のプラットホームの様な『ラジオ塾』に共感した。ときには時間を忘れ、見切り発車して目的地のない旅に出るのもいいかもしれない。
突然の病により光を失った彼は逆境をものともせず言葉だけの世界へと見事に思考をシフトチェンジした。これから会をかさねるごとに、そのフォーマットは形成されていくだろう。今の感性を大切にさらなる発展を期待している。

 

 

 

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2014年

4月

24日

私の役目

昨日、「CEOchief executive officerというのはもう古い。

本当のCEOは、chief enterainment officerであって、伝道を

し続ける役目。他のことはみんなで協力してやること。」

という文章を読み聞かせてもらい、しばし泣いた。

 

これは、ダイアローグ・イン・ザ・ダーク発案者アンドリュース・

ハイネッケ氏が、生死を彷徨い奇跡的な回復力でリハビリ中の

ダイアローグ・イン・ザ・ダーク・ジャパンCEOの志村(金井)真介

さんにむけて発した言葉。

 

ご自身も生死の境を彷徨い生還された経験がおありとのこと。

だからこその言葉。

 

気丈に振る舞っているが、障害があるということはやはりハンディ

がある。責任ある立場に在ることへの負い目を感じ、不安になる。

(自分自身の心持ちの問題が大きいのだが…)

 

そんな私の迷い、不安を払しょくしてくれるハイネッケ氏の言葉に

勇気をいただいた。

 

私の前世は、「中国のお坊さん 」と言われたこともあった。

「伝道」をし続ける役目。 それは運命かもしれない。

 

当ブログも、私が紙に大きく書いた文字・文章を、または話した

ことを、妹がPCに打ち込んでアップしている。まさに協力なしでは

ありえないのだ。これでいいのだ。

 

志村(金井)真介さんのプロフィールが、もうchief enterainment officerになっていた。

 

私も、「伝道」をし続ける役目を全うしていこう。

新緑が美しく映えるこの季節、思いを新たにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2014年

2月

18日

haruha(ハルハ)

      想定外に、カフェ巡り、カフェ評論コーナーのようになった当ブログ。

      というのも、書かずにはいられない、いいお店・カフェが増えている

       からである。

        しかも、ナーンにもないところだなぁと思っていたこの下馬エリアに

         (広域三軒茶屋エリアと言ったらいいか)

        昨今「リアル店舗の逆襲」というか、個店に活気があるところが増え

        ているように思う。-これについては改めて書きたい。

 

        今回は、名前もかわいharuha(ハルハ)

        若い女性二人が経営している。

        陽子さんと、葉子さん。ハルとハとも読むので、「ハルハ」と命名

        したそうな。

 

        築60余年の古家をリノベーションして、縁側の先に建て増して

        お店に、茶の間をカフェスペースに改造したのはショップデザインが

        本業の陽子さん。

        元々マクロビオティに興味があり、それを活かしてフード、スィーツ

        づくりに魂込める葉子さん。

 

         ちょっと前まで日常だった畳にちゃぶ台の風景。

         心誘われ小1時間ほどの時間が過ぎていく。

 

         実は、私何を隠そうスコーン評論家でもある。

         けっこうアチコチのスコーンを食べつくしているが、それぞれで同じ

         味はない(当たり前か)

         うまい!というスコーンもなかなかお目にかかれないでいた。

 

         だが本音haruha(ハルハ)のスコーン(マフィンも)はおいしい。

         砂糖を使わない甘味が何ともいい。大きさもちょうどいい。

         豆にこだわるコーヒーもおいしい。

 

         店内には、haruha(ハルハ)をものがたるように、“かまど”も鎮座。

         実際にこのかまどでご飯を炊いて、おにぎりをつくるワークショップを

         したこともあるとのこと。

 

        もう少し暖かくなったら、haruha(ハルハ)の時空間を共有できる

        仲間を誘って、体にも心にもいい【お食事会】をやろうかな。。。

 

 

          古家cafe+gallery haruha

           http://haruhacafe.com/

 

 

 

 

 

 

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